水と健康のミーマリスト優も講演しました。
("還元水どっとこむ" 店長)
鹿児島県健康管理士会発足式でのごあいさつ
平成21年9月27日(日曜日)ハートピアかごしまにて演題:
私が健康管理士になった理由(講演 副会長日 優)
鹿児島県健康管理士会が正式発足いたしました。
多くの方のご協力により無事に発足会を開催できました。ありがとうございました。これからの鹿児島県健康管理士会の活動にご期待ください。
本日は貴重な休日に、ご参加いただき誠にありがとうございます。昨年の8月から毎月地道に学習会を重ねて今回本部より許可をいただき、正式に発足することができました。
これからさらに、正しい予防の知識の普及と学習をどのように行なってゆくか試行錯誤になろうかと思いますが、ぜひ皆様にもご協力をいただきますとたいへんありがたいです。
たけしの家庭の医学テレビ番組の話
私は、この1年で13kg減量しました。きっかけは昨年放送された、たけしの「ほんとうは怖い家庭の医学」メタボ検診 鹿児島編という番組に参加したことからです。
本放送をみましたらこんな体型でよくもまあ病気予防の知識を普及とは・・・説得力がない、そう思ったからです。
検診結果もメタボ予備軍。メタボ検診の是非はともかく生活習慣を考え直す良いきっかけになりました。人生ではじめて血圧でも注意をうけました。最近、84回目の献血をしましたら、121−74で減量の効果があったようです。
献血にグリコアルブミンGAという項目が増えていました。糖尿病検査のひとつで過去2週間の血糖値の状態を反映する数値で15.6%以上の場合が注意が必要で標準値は16.5%未満。私は14.7でした。
今週はじめのNHKニュースの話
今週のはじめに朝のテレビ番組をみていたら、こんなニュースが流れていました。
東大の秋山教授が900人を15年間調査したデータです。それは"喫煙者"と"社会活動に参加していない人"は死亡するリスクがそうでない人の2倍になったそうです。
健康管理士会への参加は、社会活動ですから、死亡リスクを下げる意味でもぜひご利用ください。
たばこは論外です。たばこをやめて、なんらかの社会活動に参加することが大切なようです。
元気で長生きする人の特徴キーワードは「バランス」
私は愛知県からUターンしてきた20代後半から、市内の業界では中堅の会社で企業戦士として朝から晩まで日曜祝日問わずに働いていました。
当時の私は、たばこは毎日3箱、休みの日は外に遊びにゆく気にもなれない状況が長く続きました。あのままだったらたぶん50の坂は越えられなかったと思います。
現在健康管理士会でいろんな方にお会いして刺激を受けております。
パンコースト腫瘍胸の痛み
健康で長生きする方の特徴として「身体全体がバランスよく老化している」と聞いた事があります。それで健康のポイントは「バランス」がキーワードだと私は思っています。
肉体的な健康と精神的な健康、これらもバランスが大切です。ご存知のようにうつ病も増えています。身体のこと学習しましょう。
健康管理士になった理由
さて、私が健康管理士になった理由ですが・・・。
2001年のはじめごろ健康関連の仕事をされている知り合いの女性から、健康管理士という資格があるという情報をいただき、すぐにネットで調べました。ホームページもちゃんとしていて、すぐに資料を申し込んで受けてみることにしました。
なぜすぐに申し込んだかといいますと、10年前に前職をやめて予防の仕事をやり始めたのですが、深い知識を持っていたわけではなく、何がしかの健康に関するしっかとした「ものさし」を持ちたいと考えていたからです。ものさしをもっていないと回り道をしてしまうことを経験上わかっていたので、健康の羅針盤になるものを無意識に探していたのかもしれません。
この学習はわたしにとってたいへん有意義でした。資格自体の詳しい説明はこのあといたしま� ��ので、お聞きくださいませ、私の感想では一言でいいますと広く浅くで、バランスが良いという印象です。そうはいっても極端に浅いわけではなく、十分に私の知識欲を満足させてくれました。
それではそこに至るまでの、私の病気に関する経験を簡単な自己紹介も兼ねてお話させてください。
小学校2年生で腎臓病 "留年" の危機?
私が病気予防に興味を抱いたのは、実は子供の時に私自身、身体が大変弱かったからです。
町の商店街ほどの品揃えで病気をいたしました。
小学校2年生まではがりがりの痩せ型で、しょっちゅう浣腸しないといけないぐらいの便秘症、肉は嫌い、野菜も魚も嫌い、お菓子や炭水化物で生き延びているような状態だったようです。
体質が変わったのが小学校2年の3学期に腎臓病になってからです。
急性の腎臓病だったようで、毎日毎日注射を腕とお尻と2箇所打っていたような記憶があります。
時期的にお餅が食生活の中心になり、無塩しょうゆでたべるお餅がくちに合い、"おてちけ"(鹿児島弁でたくさんの意味)食べて1か月間で、見違えるように太りました。
当時の写真をみると減量に成功した人のビフォー、アフターがまったく逆になったような別人28号です。
物質使用と精神疾患との関係
ただよかった点は、これがきっかけで体質が変わったみたいで好き嫌いがいつのまにかなくなりました。今はそんなに食べるな!と言われるぐらいです。ただし急激な肥満のせいか心臓弁膜症の疑いで小学3,4年はドクターストップ、体育を2年間まったくしませんでした。当然通信簿は1です。ですから、小学校入学時は運動会かけっこ1等賞が卒業時は"どんびり"の肥満児でした。そのまま子供の肥満が大人の肥満につながりました。私は自慢じゃないですが平均的な体重になったことがありません。常にオーバーです。
しかし、野菜が食べることができるようになってからは厄年前まで病気らしい病気には無縁になりました。
介護は地獄でした。
介護の経験もあります。
とはいっても私がやったわけではなく、母親が父の介護をしたのです。
父は昭和61年の年末に57歳で他界したのですが、私が昭和58年ごろ、名古屋で電気設計事務所に勤務していた時に、父親の具合が悪くなりまして、そうしたら勤務していた会社も具合が悪くなりまして結果Uターンすることになり、それから3年ほどで父親が亡くなりました。
ALSという病気でした。日本語で「筋萎縮性側策硬化症」という難病だったのです。大リーガーのルーゲーリックや宇宙物理学者のホーキング博士で有名な病気です。
このような経験のもと、人生の1歩先を考えるほどの技量はありませんが、半歩先は常に考える癖がつきました。
生老病死
「生老病死」ということばがあります。
生まれて、年を重ね、病にかかってこの世を去る、ほとんどすべての方が行く道であると思います。
日本人の死亡原因は1位が「がん」、2位が「心臓疾患」、3位が「脳卒中」、4位が「肺炎」、5位が「自殺」、6位が「不慮の事故」・・・。
私の父親は、当時日本で4000人ぐらいしかいなかった病気で死んでしまいました。
当時の自分を振り返ると病名を言われても企業戦士の多忙さにかまけて、なんらの心配りを家族にしなかったように思います。つまり生命に関する情報をほとんど持っていなかったし関心ももとうとしなかったのです。
勤務していた会社はOA機器販売と文具事務機の販売をしている会社でしたが、私はコピー機のサービスマンとして入社し、のちに兼務で営業もして15年勤めさせていただきました。
その時、営業で伺った会社の社長さんが亡くなるケースが増えてきて、長く勤めていれば当然といえば当然ですが、お世話になった会社の社長さんや関係者の方が亡くなるということはほんとうにさびしいです。
あまりにもSSRIの、うつ病や不安が悪化することができます
大腸がんで逝ったある理事長のお話
こういうこともありました。
東開町の住宅建設関係の会社の理事長さんが営業で伺った時に入り口でうろうろされていて、様子が変だったので「どうかしましたか?」と声をかけたことがありました。
理事長いわく「大腸がん検査でひっかかった!」3ヶ月後、理事長は大腸がんで亡くなりました。
霧島市の医療法人グループのお話
コピー機のサービスマンをしながら私が、開拓したお客様で霧島市の医療法人グループがあります。
そこは、身体障害者施設、特別養護老人ホーム、老人保健施設、介護支援センター、ディサービスといろいろな施設を持っていました。
施設長の息子さんが身体障害者施設の隣で脳神経系の病院をされていました。自動式のベッドを何台か納めさせていただいたことがあります。その病院は腎臓透析もできる施設で、今年の五月に風のたよりで知ったのですが、病院長の息子さん自身が透析患者だったそうで、数年前に亡くなられてしまい、そのお母さんの施設長も7年前に乳がんで亡くなられたそうです。
お2人にとてもお世話になったので、聞いたときにはとてもショックでした。
その病院でベッドの修理を頼まれたことがあります。
婦長さんに通されて病室に部品をいただきに入ったらちょうどベッドとベッドの間でした。声が聞こえてきました。
「苦しい!苦しい!」悲痛な声です。
耳についてはなれません。数台のベッドの上でみなさん鼻から口から管を通されている風景忘れられない経験です。
実は3年ほど前に勤めていた会社の社長が59才という若さでこれも難病で亡くなりました。毛細血管の先がつまってゆく原因不明の病気です。
勤務していた時、健康診断で一番悪い結果がその社長でした。奥さんによく言われました。「日さん、あんたが注意してよ。あんたのいうことなら聞くかもしれないから」 仕事上の付き合いもあり飲酒やたばこはやめられない状態でした。社会にでて一番お世話になった社長でしたので残念です。
また、ある勤めた電気工事会社の社長も骨肉種という骨のがんで亡くなりました。他にこの5年間で親戚と知人が6名ほど亡くなられました。突然亡くなったわけではなく、みなさん助からないことがわかっている時から私も知っていてお会いしていましたので、たいへんつらいものがありました。
ですから予防が大切なことを身にしみて実感しています。決して他人事ではありません。いつかは自分の身に振りかかってくること です。
私は三十代のころ暴飲暴食をしていました。そのときの負の遺産は完全に消えてはいません。厄年近くには脂肪肝、体重は最高で96kgまでゆきました。もう少しで100kg!!
健康管理士の資格をとるための学習中に減量も同時に平行して半年で14kg減を達成。はじめて減量すると決めて成功したダイエットでした。その後、生活習慣が徐々にもどったらゆっくりと体重も元に近づいてしまいました。
先ほどいいました「たけしの家庭の医学」へ参加したことがきっかけで、ここ10年で2回目のダイエットのためにお酒をやめました。今は飲んでも発泡酒1缶どまりです。
それでここ1年で13kg減量できまして、高校入学時の72kgまであと少しです。
体重でBMIというのがありますが、これで求めた体重より2〜3kg多いほうが長生きするそうですから、計算上の69kgよりベスト体重は72kgを目標に、できれば脂肪を減らして筋肉を増やす体重管理をしたいと今は思っています。
コピーと人間どちらもメンテ(保守)が大切
さて、私は前職でコピー機のサービスマンをしていたといいました。コピー機は回転部分が多く、月間のコピー量で、定期点検や、トラブル処理が必要な機器です。
私は当時業界で三大メーカーといわれている会社以外の製品を扱っていたので、いかにトラブルなくお客様に使っていただくか真剣に考えて、コピー機の調子を理解することを一生懸命しました。できるだけ壊れる前に伺って点検することができれば、お客様は快適に使用できます。それが私の自己目標でした。自分で言うのもなんですが優秀なサービスマン!?でした。
人間の身体と比較するのは無理がありますが、壊れる前に定期点検、事前に調子を知るなど生身の人間も本質は同じような気がいたします。快適に最後まで行きたいものです。
私はこう考えます。「健康管理を他人に依存していては真の健康にはなれない」
聖路加国際病院の名誉院長の日野原先生のことばで2つご披露します。
「日常の行動の中に健康の種がある」
「早いうちからの生活習慣の見直しはおそらく人生の実りも多い」
私が思う健康の3つの柱
1.健康づくりは街づくりから
2.健康とは幸せだと感じること
3.健康管理は食生活から
あなたの生きかたが健康法
健康法とは「あなたの生き方そのもの」と言えそうです。
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不定期ですが、芯のある健康情報をお届けいたします。
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